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松本人志「女性専用車両はブスばかり」問題に見る包摂が欠如したヒステリック社会

読んだ瞬間に椅子から転げ落ちそうになった……、そんなクソ記事に久しぶりに出会いました。

「ネタりか」というニュースサイトで、シュガー乙子なる人物が書いている、

「女性専用車両はブスばかり」痛いおじさん・松本人志にドン引き」という記事です。

このライター(芸能記者?)の記事には、現代の日本社会における馬鹿馬鹿しくも拭いにくい社会問題が詰まっていると感じます。

TVの前で噴き上がるあさましい感情

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「シュガー乙子」というペンネームから恐らく、この方は女性なのでしょう。

彼女は、記事の中でこう主張しています。

たとえば先月は少子化対策について「やっぱりジジイがもっと若い女とデキるようにならなきゃいけないでしょうね」。愛人の容認や一夫多妻制が有効ではないかと話していた。ゲスト出演者で独身のSMAP・中居正広(42)に対して「SMAPは結婚する使命がある」「極論、結婚せんでもいい、全都道府県に子供つくったらええ」とトンデモ発言を繰り出していた。本人は「ユーモアのある俺」気取りなのかもしれないが、これでは面白くもないコメントしかできない痛々しいおじさんである。

はぁ? まず大前提として、これは、バラエティ番組におけるコメディアンという立場の人の発言です。

このことが完全に抜け落ちていて、まるで松本人志さんが社会的な問題発言をしたかのように書かれています。

この“バラエティー”番組は、ニューストピックやゴシップネタを題材に、

普段はワイドショーなどで叩かれる側のタレントが持論を展開する番組です(と、番組の冒頭に注釈もされています)。

だから、報道的な要素は低いよという意味も込めて『ワイドなショー』とネーミングされているのでしょう。

そう、まさしく「ユーモアのある俺」気取りのタレントが発言することをテーマとしたバラエティー番組です。

そして、松本さんは「女性車両を利用している人は全員ブス」という、常識的に考えて100%ありえない事を言っています。

こういうのを、真に受けて、テレビ局に抗議電話(電凸)などをする間抜けでヒステリックな輩がいますが、

この記事は、そういう愚かな存在が、記者風情を気取って書かかれたようなものです。

このシュガー乙子なる人物がTVの前で、

「ブスだなんて許せなぁぁぁい」と憤っている様子や、

だいぶ古い著書『遺書』までをも引っ張り出して、

その引用文を探して記事を書いているというさまは、

滑稽としか言いようがありません。

こんなことを言うと、「タレントの発言は社会的責任が重いのだから、謝罪すべきだ!」などと噴き上がる人がいます。

しかし、そういう人はワイドショーごときの情報にも異常に感情をかき乱してしまう情報弱者(あるいは実体が社会的弱者)ということが言えるでしょう。

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社会的包摂と社会的排除

さて、この記事に渦巻いている何が問題なのかと言えば、社会学的に言えば

「社会的包摂の欠如」または「社会的排除」の問題ということです。

これは、分かりやすく言えば、

 

モンスターペアレント問題

ネトウヨ問題

ヘイトスピーチ問題

 

などにつながる、日本の社会に馬鹿馬鹿しくも払拭しにく問題として蔓延している社会問題だと考えられます。

事実、こんな愚かな存在が記者という仕事をして普通の顔をして飯を食っていること自体が社会問題と言えます。

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どういうことかと申しますと、

社会で生きて行くうえでは、さまざまな「ノイズ」を避けて生きて行くことはできません。

ここでいう「ノイズ」とは、他人からの悪口だったり、イジメ的な行為だったり、自分が良いと思うものへの批判だったりです。

誰でも悪口を言われたり、ちょっとしたイジメに遭ったり、自分の意見を真っ向から批判されたりすることはあるでしょう。

そして、その逆もまた然りです。

そういう日々の中のちょっとした苛立ちを排除していこうとするのが「社会的排除」です。

それらを包み込んで、どしっと構えるのが「社会的包摂」です。

リアル社会で排除されるとネットに向かう

こうしたノイズに対して過剰に反応して、

「ブスとは何事だああああ!」

などとヒステリックに噴き上がるような社会的排除が進んでいるのが今の日本社会であり、例の記者の本質でしょう。

※コメント欄で同調している人も同様ですね。

社会的排除が進むと、人は人との関わりを避けるようになるので、孤独な人が増え、結果「社会」は崩壊します。

(ですから、日本では孤独死の問題や非婚化問題が顕著なのです)

ただ、人は独りでは生きてはいけないので、リアル社会はあきらめて、ネットの世界で「社会的排除」を繰り返し、共感者を探したがります。

こうした感情の劣化がネトウヨへとつながっています。

また、社会のノイズへの免疫が低いことから、過剰に子供を守ろうとするのが、モンスターペアレントです。

そして、外国の異文化というノイズに耐えきれない経験値の浅い人たちがヘイトスピーチを繰り返しています。

こうした人たちは、リアル社会ではなく、2ちゃんねるなどのネットの世界で自身の思いをぶちまけて行く傾向にあります。

このことから、

「女性専用車両はブスばかり」という明らかに事実とは異なる発言
(いわば議論にするに足らないような発言)に対して、

わざわざ20年以上も前の著書まで持ち出して、

松本人志という人物を排除するかのような内容を、

本名も出さずにニュースサイトに投稿するというこの記者の記事は、

社会的排除を助長する行為にほかなりません。

(掲載したメディアも然り)

包摂が欠如すると、友達がいなくなる

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さて、包摂は英語で「Class Inclusion」と言い、

さまざまな種類や分類を受け入れる多様性を意味します。

簡単に言えば、ケツの穴の小さいの反対語であり、器が大きいということです。

器の大きい人が多くいる社会では、議論や意見交換が有効になります。

反対意見や批判意見が出ても大きな心で受け止めてくれるからです。

そうすることで、本来の信頼関係や絆が生まれます。

ですから、社会的包摂が失われると友達が作れない社会となります。

そう考えると、このシュガー乙子なる人物の孤独感や疎外感はかなりのものだと予想されますね。

とはいえ、そこまで言うなら、シュガー乙子の記事も包摂しろという人がいるかもしれませんが、

だとすれば、あの場面における記事はどう書くべきだったか?

「女性専用車両はブスばかり」という事実上ありえない発言に対して、

すぐさま、

「いやいや、レッツ テレフォンですよ。大量の苦情をお願いします」

とあえて、自ら苦言を呈した東野幸治さんのフォローの上手さについて書くべきでしょう。

(芸能記者ならなおさら)

この後にトラブルになるのじゃないかと一瞬で予測して、あえて受けるよと切り返した点が、やはり包摂ということになるのだと思います。

さて、みなさんはどう感じたでしょうか?


社会的包摂が失われると、自由にトークできなくなります